ジャッジメント 人を判断すること・判断されることを怖がらない

ジャッジメント 人を判断すること・判断されることを怖がらない

 

赤ちゃんをを連れてお散歩をしていると、オーストリアのど田舎のせいかみんな車や自転車から降りて、

赤ちゃんの顔を見に来ます。

 

特に私の知らない人まで、私が村で唯一の日本人なので興味があるのか赤ちゃんの顔を見に来ます。

 

夫曰く、特にハーフだからどんな顔か興味があるじゃないとの事ですが、皆がこぞって聞くのが「おりこうさん?いい子ちゃん?(ドイツ語でBrav?))って聞くのです。

 

きっと赤ちゃんがいる人に聞く、社交辞令のようなものなのでしょうが

私も笑って一応「はい」と答えるのですがいったい、赤ちゃんのいい子ちゃんって何だろうと思いました。

 

泣かないで静かにしてる事かな?とも思いました。

 

赤ちゃんはしゃべれないから、お腹がすいたら泣くし、かゆくても泣くし、うまく眠れなくても泣きます。

泣く事が赤ちゃんの言葉だから泣かない子なんていないのです。

 

そして夫がわざわざ、いい子ちゃんって・おりこうさんを辞書で調べたら、

親の思う通りに行動する、思い通りになる事。って書かれてました。

 

そうだとしたら、うちの子は全くいい子ちゃんではないです。

 

田舎に住んでいると、みんな暇なせいか他人の噂話をたくさんします(笑)

日本に住んでいる時はお隣さんの顔や名前すら知らなかったですが、田舎では、冗談で本人より他人の方がその人の事を知っていると言われるくらいで、みんな人の噂をたくさんします。

 

あそこの子供はどうだ、こうだと。みんな、自分の観点から自分の視点から話します。

 

人が何かを話す時はみんな自分の視点から話し、多くの人がその自分の考え方と相手の考えが一致しないと反感というか心地よくない感覚を覚えるようです。

 

ドラえもんが言っていた言葉があって(笑)、

 

「戦争なんてどちら側も、自分たち絶対にが正しい、これが正義だと思って信じて疑わないから起こるんだよ。」

 

ってフレーズがあってなんだかこの自分の観念というか視点、思い込みに縛られているとまずは自分の中で戦いが起きてしまうのではないかと思います。

 

赤ちゃんを見ているといつも思うのは、当たり前ですが赤ちゃんは人をジャッジせずただ純粋に人を見ます。

 

そして自分自身も人にどう思われるかなんて全く気にせず、泣きわめき、うんちをして、笑って、寝たいときに寝ます。なんて自由なんだ。なんて楽なんだ。と羨ましく思います(笑)

 

これこそ、究極の「あるがまま」の姿ね。ってしみじみと思い、

人は何歳くらいから他人を気にして、いい子にしなきゃと思ったり、それに反発したりするようになるんだろうと考えてしまいます。

 

 

社会で生活していくには、赤ちゃんのように振る舞う事はできませんが、いつの間にか自分自信の事が後回しになり、他人からの評価を恐がり、万人に好かれるように生きるのが安全だと思いがちになってしまうように思います。

 

私も、若い頃に世界を旅したいと思う前まではいろいろな思い込みに縛られていて(日本の生活しか知らなかったので)世界には色々な生活スタイルや考え方がある事を知りませんでした。

 

その頃は好きな事を、趣味を仕事にできる訳がないと心から信じていました。

 

でもポジティブな心で旅をすると、好きな事して生きている人と出会う事ができ、あるがままの自分を表現して生きている人もいるのだと知る事ができました。

 

人に評価される事のを怖がっているのは結局、自分です。

 

あるがままの自分でいる事を妨げているのも自分自身なんですよね。

 

赤ちゃんを見て、ジャッジしない、人からのジャッジを怖がらない事を学ばされました。